『昏』 「零〜紅い蝶〜」二次創作 注意:  この作品は、株式会社テクモから販売された『零〜紅い蝶〜』の人物・世界設定を使用しています。  作中に登場する団体・人物の名称は、全て架空のものです。  作中には『零〜紅い蝶〜』のイージー/ノーマル、ハード/ナイトメアモードの一部ネタバレが含まれますので、エンディングをまだ見られていない方はご注意下さい。                           2003/12/17:修正:sugich                           2003/12/15:初版:sugich ------------------------------------------------------------------------------ 「澪、私が澪の目の代わりになるから。  ずっと一緒にいようね、澪」  白い病室の中。  廊下を歩く人の足音も小さくなっていって、しんと静まり返った病室の中。  ただ二人きり。  私は今、澪の眠っているベッドの傍でじっとその顔を見つめている。  目に包帯を巻き少しやつれた妹の顔は、どこか痛々しく見えて。 「澪」  呼びかけても目を覚ますことはない。  規則正しく上下する胸と、小さな呼吸の音が病室を支配している。  私は座っていた椅子から離れてベッド脇の床にしゃがみ、澪の腕に頬ずりする。  澪の腕に残った、生々しい鎮静剤の注射の痕。  そこに……、  ……今日もまた、私は口づけた。         §  澪は今、家の近くの総合病院に入院している。  あの森から保護されてすぐは、その麓近くの病院に入っていたけれど、間を置かずこちらに移ることになった。  お母さんは私たち二人が無事──とは言えないまでもちゃんと見つかった朝、取り乱したように泣き崩れた。「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝りながら。  私たちにとってはただ懐かしい場所に帰るというだけのはずだったこの旅行、お母さんにとって本当は、ずっと昔にあの辺りで行方不明になってしまったお父さんを最後にもう一度だけ探してみたいという理由があったんだと、後からぽつりぽつりと聞かされた。  もしかしたらお父さんもあの村に迷い込んで行方不明になってしまったんじゃないかと考えもしたけれど、そのことについてはお母さんには言わなかった。  私と澪は、ただ気がついたら保護されていただけで、あの夜に何があったかは全然覚えていない、そう言うことになっているから。ただ一つ微かに覚えているのは、澪の目は私を助けようとして何かがあって見えなくなってしまったのだろうと、はっきりとはしないけれどそんな気がする、そのことだけだと。  私は警察の人やお母さん、病院の人に聞かれた時も、ずっとそう答え続けた。  それ以外にどう答えることができるというのだろう。  誰も信じてはくれないだろうし、確かめることさえ出来ない。  そしてあの場所はもうすぐ水の底に沈んでしまう。何もかも、私と澪の中の記憶だけを遺して深い深い場所へと沈んでしまうのだから。  澪は病院に入ってすぐは「怖い、怖い」「目が痛い、痛い」と錯乱したように泣き叫ぶことがままあった。  最近はもうずいぶんと落ち着いているけれど、それでもたまにどうしようもない時がある。そんな時にはお医者様に鎮静剤を打っていただくしかなくて。  今もその注射を打っていただいてようやく眠ったところだった。  頃合いを見計らって、「また何かあったら、すぐナースコールしてね」とお医者様も看護士さんたちも部屋から出ていってしまい、だから今はもう、静かな病室の中で私が一人見守っているだけ。  澪の腕に残った、生々しい注射の痕。  そっと触れて撫でる。  ゆっくりと滑るように手首、手のひらへと指を下ろしていく。  手を重ねる。  今は力ない、澪の手。  私の手をとって、いつも引っ張っていってくれてた手、私を守ってくれた手、そして最後の最後、あの刻、あの場所で、私を助けてくれた手。この手が私を繋ぎ止めてくれた、約束を守ってくれた、私を離さないでいてくれた……そしてその代わりに、澪は光を失ってしまった。  澪は、私のために失明した。  澪は、私のせいで永久に光を失ってしまった。  思い出すのは、お医者様から詳しい検査結果をお母さんと一緒に聞かされ、その事実を告げられた時のこと。  その言葉に私は呆然として、そして涙を流した。  お母さんの「なんとかならないんですか、先生!」という声が聞こえたその隣で、ゆっくりと両手で顔を覆い、俯いて声を押し殺した。  今も思い返す、その時の激しい感情。  私のせいで澪は……。  ……あぁ。  涙が零れる。  ああ、あぁ、なんて、なんて!  肩が震える。  こんなにも、こんなにも!  唇を強く噛む。  それは──  『な・ん・て・素・敵・な・こ・と・な・ん・だ・ろ・う』  血の味がする。  こんなにも、私は、なんて、嬉しい。  口の端が歪む。  嬉しくてたまらなくて、涙が止まらない。  あの時、私は。  漏れ出そうになる歓喜の声を押し殺し、昏い喜びに肩を震わせながら、とめどなく涙を溢れさせていたのだと。  そしてそのことは、私以外、誰も知らない。         § 「澪、みお……だいすき」  注射痕に舌を這わせ、いとおしむように何度も何度も舐める。  私は澪が『私を助けるために』目が見えなくなったということに対して、負い目なんてもの一切感じてない。  周りからそう見えてるのは全部、嘘。ただの演技。  私は、私以外の人を全部だまして、そして澪の傍にいる。同情を誘う嘘の涙を流し、心ではほくそ笑みながら、澪の傍にいる。  ただ一つ、「澪の傍にずっといたい」という言葉以外は。  澪の失明がもう二度と直らないと告げられたあの時、私の心にあったのは、痺れがくるような恍惚感、澪を本当に私のものにできたんだという喜びだけだった。  けれど、周りが『澪は繭を助けるため失明した。だから繭はこのことに責任を感じている』と考えてくれるのは、私にとってとても好都合なこと。私が澪の目の代わりになって、いつでもどんな時でも傍にいて世話をしていられるための口実として、これほど有用なものは無いのだから。  だから私は、お母さんやお見舞いにきた人たちの前で、澪への償いの言葉を口にする。 「私が、澪の目の代わりになるから。  ……だって、だって澪は私のために……ごめんなさい……澪」  わざとらしくないよう、厭味にならないよう、私が心の底から澪のことを心配して、澪に負い目を感じて、どうしても澪の傍にいたい、いなければならないという思いでいることをアピールするために。  腕から唇を離して立ち上がり、澪の寝顔を見つめる。  ベッドの上、澪の上に体重をかけないよう気をつけながら、横から覆いかぶさって。  澪の顔に私の顔を寄せる。  いとおしい私の半身。  私のもの。  私の全て。  澪の唇に、指先でかるく触れる。  澪の唇に、唇でかるく触れる。  ついばむようにキスをする。  唇を滑らせ、唇から頬、頬から唇。  ちろちろと舌でなぞる。  上唇、下唇、少し開いた間を軽く割って、白い前歯の形。  吐息を邪魔しないよう、小さく、何度も、何度も。  生暖かい息、澪の口から漏れる息を、私の吐くそれと絡ませる。  混ざり合った吐息を、もう一度澪が吸って、吐いて、私がまた吸って。  澪の口の中、喉、肺の中、全部が私と澪の混ざり合った匂いで満たされる。  同じように、私の口の中、喉、肺の中も。  嬉しい。  指で細い澪の髪を梳く。  今度は髪の生え際、顳に唇を寄せる。  指先で耳朶の形をなぞる。  白い包帯が触れる。  可哀相な澪、私のために光を失った目。その証の包帯。  包帯の上から澪の瞼に触れる。私のために失くしてくれたもの、その大きさを感じられて涙が流れる。  唇を寄せる。布越しに瞼の上に口づける。  右目、左目、同じように。 「澪、みお」  鼻梁にそって指を這わせた後、舌先で可愛らしい鼻の頭と、小鼻をつつく。  そして頬と頬とをすり寄せる。  小さく掠れるような声で、私のものになった妹の名を呼ぶ。  眠りから起こすための声ではない、私のものだということを確認するための声で。 「私の澪」  もう一度唇を唇で塞ぐ。  離して、その不思議と紅い唇を見つめて。  私は口の中でくちゅくちゅと唾を集める。  澪の唇に、そのかすかに開いた隙間に、それを垂らす。  零れる唾が澪の唇を濡らして光る。  私は笑みを浮かべて、また唇を寄せる。  舌を出して、零れた唾を舐め取り、また染み込ませるように舐め続ける。  ぷちゅぷちゅという音。  澪の唇を舌で舐めて、唇をしゃぶり、また舐める。  うれしい。  ……けれど、まだ足りない。  お互いに舌を絡めあうような深い深いキスはまだできない。  静かに眠る妹に、私は夢見るような声で言い聞かせる。 「ねぇ、澪。  私の中は、いつでも澪のことだけなんだよ」  唇から頬を滑り、顎のラインに沿って。  首筋から続く華奢な鎖骨へと、痕が遺らないようただ軽く唇と舌を這わせていく。  今の私は、澪に私の匂いをつけてるだけ。  私のものだっていう印をつけてるだけ。 「あの刻、私の声、聞いてくれてたよね。  今はまだそういうことちゃんと思い出せる状態じゃないけど、ちゃんと聞いてくれてたよね」  澪の首元から顔を離し、そのまますうっと耳に唇を寄せて。 「でも、澪がそのことちゃんと思い出してくれた時には──」  だって、まだ『その刻』じゃないから。 「──澪がもう私のものだって、澪も素直に受け入れてくれるようになってるよ、きっと」  私はそっと身体を離すと、ベッドの上から下りる。  そうしてもう一度彼女の細い手を取ってから、何も知らない風な静かな寝顔に微笑みかけた。 「退院しても、ずっと傍にいてあげるから。  ずっと傍にいて、澪には私しかいないって、おしえてあげるから」  静かに眠る『私のもの』に、私は夢見るような声で告げる。 「澪は、私のものだからね。  ずっと一緒にいようっていう約束、ちゃんと守ってあげるから。  ね、澪。  だいすきだよ……澪」  私は澪の手をキュっと握りしめた。 「だから、はやく退院できるといいね、澪」                                   おわり。