前略 − 1 −
親愛なる兄貴殿よう、元気でやってるかい?
こっちはなんだかんだで慌ただしい毎日が続いている。グループの運営に関しては別段心配するようなことは何もないんだが、俺自身の方で、ちょっとね・・・。兄貴と義姉さんの愛してやまない娘たちは今日も元気だ。みんな義姉さんに似て、近所でも美人四姉妹っていう評判だよ。
特に楓の後ろ姿を見てると、つい義姉さんの若い頃を思い出してしまって・・・。ほんと、日本人形みたいなところがそっくりなんだ。性格も四人の中で一番おっとりしてるかな?俺に耕一の話をしてくれってせがむのが一番多かったのも、楓だったっけ。美人四姉妹っていうのは、誰もが納得するところなんだが、千鶴だけは自分の胸が小さいことをずいぶん気にしてるみたいだ。ついこの間、梓に追い越されたのがよっぽど悔しいらしい。そんなに気にするほどのことでもないと思うんだがな。好きな奴でもできれば、嫌でも大きくなるさ。
千鶴は三月に大学を無事卒業して、今は花嫁修業、兼、鶴来屋グループの幹部候補としての勉強中ってところだ。ついこの間、千鶴と初音の卒業式が終ったと思ったら、もう明日は初音の高校への入学式だそうだ。残念ながら、俺は役員会議がどうしてもはずせなくて行けないんだが、千鶴が父兄として行ってくれることになってる。そういえば、楓の学校も入学式と始業式は明日だって言ってたな。梓のところは明後日らしいんだが、当の本人はそんなことはおかまいなしで、五月の選考会に向けて毎日学校に通って特訓中。これがどうやら夏の全国大会に向けての第一歩になるらしい。
そうそう、聞いて驚くなよ。梓は陸上女子二百メートルの県の記録保持者なんだぜ。どうだ、鼻が高いだろ。俺も初めて聞いたときはびっくりしたんだが。
梓はなかなか面倒見がよくて、後輩からも慕われているみたいだ。まぁ、家での様子を見てれば簡単に想像できることだけどな。問題は勉強の方まであまり手が回ってなさそうなことなんだが、あの子のことだ、やるべきときにはちゃんとやるから心配はいらないよ。それにしても早いもんだよな。俺がここに来たときは、初音は小学校に上がってまもなくだったっけ?最初の頃は泣いてばかりいたっけなぁ。それが今じゃ高校生・・・時の流れってもんを感じるよ。
初音のちょっと甘えん坊なところは相変わらずだけど、最近は梓の手伝いで料理や洗濯もするんだぜ。いつまでたっても、耕一のことを「お兄ちゃん」って呼んでなついてた頃から、変わらないままだと思っていたんだけどな。その頃はまだ、兄貴も義姉さんも元気で・・・。すまん、しみったれた話になっちまった。しみったれついでなんだが、あいつが亡くなってからそろそろ一年になる。耕一とは、葬式のとき以来話をしていない。あの子が俺を拒むのであれば、俺としてはそれを受け入れるしかないからな。
あいつは最後まで耕一と俺のことを気遣って、なにも話さなかったらしい。本当に迷惑ばかり、つらい思いばかりさせてしまった。死に目にすら会えなかった俺に、夫を、父親を名乗る資格はない。
自分が柏木の人間であること、呪われた血を持つものであることを、どれほど恨めしく思っているか・・・。そして、それは今も俺を蝕み続けている。
俺もまた、兄貴と同じ『力を操れないもの』だった。夜ごとにリアルになってゆく悪夢。
日ごとに強くなってゆく殺戮の衝動。得体の知れない何かが、少しづつ、だが確実に、俺を支配しつつある。酒や睡眠薬の助けを借りてさえ、あの悪夢から逃れることは不可能になりつつある。
それは、柏木の血の力。
それは、かつて兄貴のたどった運命。いっそ、こいつの力が強くなる前にこの手で・・・。
いや、まだだ。
自分の理性が少しでも残っている限り、兄貴と義姉さんの忘れ形見・・・千鶴、梓、楓、初音を愛しいと思う心が残っている限り、そして、耕一を大切に思う心がある限り、俺はこんな奴に負けたりはしない。
・・・そうだよな、兄貴。俺は神なんて信じたことはないが。
もしこの世の中に。
少しでも人の願いを叶えてくれるものがあるとしたら。
人の命をだれかの幸せへと移し替えてくれる奴がいたとしたら。
俺はそいつに、残りの命を全部くれてやってもいい。
だから・・・
コン・・・コンコン。
遠慮がちにドアをノックする音が聞こえる。
現実に引き戻された俺は、眉間のあたりを左手の親指と人差し指で挟むようにして、二、三度軽く頭を振る。右手の万年筆をペン立てへと収め、ゆっくりと椅子から立ち上がるとドアの方へ歩いてく。こんな夜更けに、いったい誰が?
俺は多少いぶかしがりながら、ノブへと手を伸ばす。
俺の寝室のドアと鍵は、つい最近、頑丈なものに取り替えさせたばかりだ。側板には元のドアのものを使っているので、普通に見ただけではドアを替えたことは分からないようになっている。もちろん、みんなにこのことは話していない。もしものことを考えて、自分が部屋にいるときには必ず施錠するようにしている。・・・たとえそれが気休めにしかならないとしても。がちゃり、と音がして鍵がはずれ、静かにドアが開く。
「あの・・・おじさま」
薄暗い廊下には、薄いグレーのスーツに身を包んだ千鶴が立っていた。このスーツは確か・・・。
加えて、その手には何着ものスーツやワンピースなどが抱えられている。千鶴はためらいがちに俺の顔を見上げると、はっと驚いたように、
「ご、ごめんなさい。わたしったらこんな時間に」
目を伏せて、そのまま自分の部屋へと帰ろうと背を向ける。どうやら俺はひどく深刻そうな顔をしていたらしい。慌ててそれを打ち消すように口元を緩めながら、俺は言葉を返した。
「構わないさ。で、どうしたんだい? 千鶴」
「・・・は、はいっ。あの・・・夕飯のとき、みんなで写真を撮ろうって話になりましたよね。明日の朝、初音の入学の記念に一枚って」
いつもの調子に戻った俺を見て安心したのか、千鶴の表情に明るさが戻る。そういえばそんな話をしていたような気がする。嬉しそうな初音の笑顔が思い出された。
「それで・・・そのときに着る服、どれがいいかおじさまに決めていただこうと思って」
そう言うと、恥ずかしそうに俯いてしまう千鶴。なるほど、抱えている服は厳選された晴れ着候補というわけか。
「君が一番だと思うものにすればいいさ」
「でも・・・」
「大丈夫。千鶴ならなにを着ても似合うよ」
「もう、おじさまったら」
千鶴は俯いたまま、少し拗ねたように頬を膨らませる。そんな千鶴の顔を見ながら、自然と微笑みを浮かべている自分に気付く。
「いや、今のは本音さ」
「だって・・・初音は新しい制服だし、梓も楓も制服がありますけど、わたしは・・・」
一瞬、俺の方を見上げて言葉を発するが、すぐに視線を落としてしまう千鶴。胸の前で、抱えられた色とりどりの服が所在なさげに揺れていた。・・・これでは、断れないな。
ただ、自分でいうのもなんだが、俺はこの手のことに関しては全くといっていいほど役に立たない。特に服装のセンスについては、からきしである。
確かに、俺がこちらに来てからしばらくは、自分でも申し訳程度に洋服などを買い足してはいた。だがそれらは、あいつが選んでくれたものと比べると、自分でさえ見栄えがしないのがはっきり分かるほどのセンスのなさで、早々に箪笥の奥にしまわれたまま日の目を見ることはなかった。おかげで、俺のネクタイや服のバリエーションはずっと少ないままだった。
そんな俺を見かねた千鶴が、なにかにつけてネクタイやシャツをプレゼントしてくれるようになって以来、この手のものは大抵任せるようになり現在に至っている。もちろん、そんなことは千鶴だって百も承知のはずだ。「わかったよ、千鶴。役に立てるかどうかは分からないがね」
「あ、ありがとうございますっ、おじさま」
今にも飛び跳ねそうな勢いで顔を上げると、ぺこりとお辞儀をする千鶴。大喜びではしゃぐ千鶴の様子を見て、俺は彼女が幼いころとなにも変わっていないような錯覚にとらわれる。千鶴が「耕ちゃんのお姉さん」だったあの頃と。
「とはいえ、こんなところで立ち話もなんだから、部屋に入りなさい」
俺は千鶴を部屋へと招き入れた。
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