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「賢治おじちゃん、はやくはやくぅ」
 玄関先から、初音が元気よく俺を呼ぶ声が聞こえる。
 少しの冬の冷たさと、多くの春の暖かさを感じさせる陽射し。今日は朝から快晴だった。
 俺は手をかざしながら空を見上げ、その眩しさに思わず目をしばたかせる。

 ・・・もう、春なのだな。

 そういえば朝食のときに、桜がそろそろ見頃だからみんなで花見に行こう、という話題で盛り上がっていたのを思い出す。楽しそうに話す娘たちを見ていると、俺の心が自然と安らぎで満ちていくのが分かった。

 いつものように起き。
 いつものように食事をして。
 いつものように千鶴は梓と口喧嘩を始め。
 いつものように楓と初音と俺とで二人の仲裁に入って。

 なにげない日々の出来事。
 変わらない日常。

 それが、千鶴の願いであり、俺の願いだった。
 そしてそれは、みんなの願いでもあった。

 俺の身体は、完全に回復したとは言い難かった。身体中のあちこちがぎしぎしと軋み、左胸が疼く。それでも、なんとか娘たちに怪しまれないように振る舞うことができたのは、千鶴の助けによるところが大きかった。ほとんど寝ていないことすら全く感じさせない千鶴の様子に、俺は深い感謝と、一抹の寂しさを抱いた。

 玄関を出てすぐの場所に、既にみんなが着替えを済ませて集まっていた。

「これで全員集合だね。・・・って、遅いよー。賢治おじさん」
「おぅ、すまんすまん」
 制服姿の梓が両手を腰にあてがい、少し怒ったように俺を見ている。俺はその姿を見ながらニヤリと口元を歪めると、軽く反撃の一打を繰り出す。

「だが・・・梓もエプロンは外した方がいいんじゃないか?」
「え?・・・あ、あれ?」
 顔を赤くして、慌ててエプロンを外す梓。どうやら洗い物を済ませた後、そのままこちらに出てきてしまったらしい。普段は柏木家の家事全般を切り盛りしているしっかり者の梓だが、たまにはこういったこともある。それもまた梓の魅力だった。

「もう、梓ったら、あわてん坊さんなんだから」
「うっ・・・千鶴姉にだけは言われたくありませんよーだ」
 膨れっ面の梓の横で、薄いグレーのスーツに身を包んだ千鶴が笑っていた。凛々しさと華やかさを併せ持つ千鶴のスーツ姿に、千鶴ならなにを着ても似合う、といった昨晩の俺の言葉が間違っていなかったことを実感する。千鶴の魅力を引き立てるには、このスーツではいささか地味すぎて役不足のような気がしないでもないのだが。

「叔父様・・・あの・・・」
 楓が心配そうな面持ちで俺に声をかけてきた。セーラー服と肩の上で切り揃えたおかっぱの黒髪が不安げに揺れている。昔から楓は、感覚的に鋭く物事の本質を見抜くことが多かった。それが柏木の血のせいなのかどうかは分からない。だが、おそらくは今朝の俺の様子になにか感じるところがあるのだろう。
 俺は内心の動揺を押さえつつ、楓にいつもと変わらぬ視線を向ける。
「どうした? 楓」
「いえ・・・なんでもないです」
 楓は目を伏せてふるふると首を左右に振ると、俺に背を向けてカメラのある場所へと歩いていってしまう。その目が寂しそうに潤んでいたように見えたのは、俺の気のせいだったのだろうか。

「ほら、初音。真ん中おいで。今日はあんたが主役なんだからね」
 梓の声に応えて、真新しい制服を着た初音が恥ずかしそうに前の方に出てくる。トレードマークのくせっ毛がぴょこぴょこと小さく揺れている。白いブラウスに髪を後ろで結わえた大きな赤いリボンがよく映えていた。
「これは驚いたな・・・よく似合うよ、初音」
 ずいぶん大人びて見える初音の姿に、俺は驚きを隠せなかった。
「あ、ありがとう。賢治おじちゃん」
 熟れたトマトのように真っ赤になって俯く初音。かつて、俺が肩車をしてやっていた幼い女の子は、いつの間にか、あどけなさと可憐さを併せ持つ魅力的な少女へと成長していた。毎日顔を合わせているときにはそれほど感じなくても、こういった場面では、それがよく分かるような気がする。

「・・・いいですか?」
 ファインダーを覗いている楓がみんなに声をかける。その声に応えて、顔を上げてにっこりと微笑む初音。

 あぁ、この微笑みは変わらないな。

 それは、見るもの全ての心をなごませる天使の微笑み。この微笑みは今も昔も変わっていない。そしてこれからもそれは変わらない・・・いや、変えてはいけないものだった。

「それじゃ、いきますね」
 楓はセルフタイマーのスイッチを入れると、こちらに向かって足早に駆けてくる。初音を中心に、千鶴と梓がその両脇に立ち、俺は初音の後ろに立った。

「ほら、楓。ここへ入りなさい」
「ありがとう、千鶴姉さん」
 初音と千鶴の間に楓が立つ。俺は、初音と楓の肩にそっと手を置いた。

 五組の目がカメラのレンズを見つめる。
 シャッターが落ちるまでのほんの少しの沈黙。

「こんな朝が、ずっと続けばいいのに・・・」
 千鶴のかすかなつぶやきは、かろうじて俺の耳だけに届くと、うららかな春の陽射しの中にすうっと消えていく。

「・・・そうだな」
 俺は目を細めて、俺の横にいる千鶴と梓、前にいる楓と初音を見つめ、そして、顔を上げた。

 パシャッ。

 シャッターの音が聞こえた。

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 追伸 写真ができたら同封するよ。
    もしよかったら、あいつにも見せてやってくれないかな?

春の早朝、皆といっしょに

〜 To be continued "With an angel smile" 〜


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